体長が悪くなると気分まで元気が出なくなってくよくよしたりしませんか?
体調不良でなんだかしょんぼりしている友人を見かけたら、励ますつもりで「元気を出して!『病は気から』っていうでしょう?」なんて声掛けをしていませんか。
「明るく、前向きな気持ちでいれば身体も元気になる」――これって、本当なのでしょうか。

「病は気から」の一般的な意味
「病は気から」の意味を改めて調べると、一般的には『「病気は気の持ちようで良くも悪くもなる」という意味のことわざ」とされることが多いです。
「ことわざ」なんですね。
「病は気から」は本当だった?
最近ではこの「病は気から」は単にことわざとしてだけではなく、「科学的にも本当だった!」という発表が増えているようです。
「病は気から」というキーワードで検索をすると大抵は『「病は気から」は本当だった!』という内容のページばかりです。
まあ、私もその内容については否定はしません。
実際、気分や思考というのもホルモンやら何やらが脳に関係するわけだし、逆にホルモンやら何やらの分泌の結果のせいで気分に影響や変化が出てくるわけで。
気分・思考と体の関係は全然別物という訳ではないですからね。
「心と体は密接に影響をしあっている」というのは正しいと思います。
むしろ切っても切り離せないものです。
ヨガでも同じ考えをするそうですね。
しかし、私が言いたいのはそういうことではないのです……!!
「病は気から」の「気」って、そもそもなんぞや?
「病は気から」の「気」とはなんぞや。
無条件に「気=気持ち・気分」と思い込んでいませんか?
そもそもがこの「気」の定義づけが、たぬこはもやもやするのですよ。
そもそも、「気」って「気持ち」のことじゃねーから!!みたいな。
本来の「気」の意味
このことわざはそもそもが東洋医学(中医学、漢方)の考え方から出てきたものだそうです。
東洋医学においては「病は気から」というのは「病(やまい)は気の乱れによって引き起こされる」という考え方なのです。
ここで言う「気」というのは「気持ち」のことではなく、東洋医学上の「気」という概念を指します。
東洋医学では人間の身体は「気・血(けつ)・水(すい)」という3つを基本構造として考えます。
「気」とは、大まかにいうと「生命エネルギー」のこと。
身体に「気」が充たされていれば身体は活発に動くことができ、病気にもかかりにくくなります。
現代で言う「気持ち」(精神作用)も含めた上での、自律神経系の働きや免疫作用などもすべて合わせた総合概念ですね。
「血」というのは全身を巡ってさまざまな組織や器官に栄養を与えるもので、西洋医学での「血(ち)」とほぼ同じような概念です。
「水」は「津液(しんえき)」とも言われ、身体の中の血以外の水分を指し、主に全身の体液や水分代謝などの作用です。津液が身体によく充ちていれば肌などの状態もよいとされます。
「氣」と、「病」の考え方
つまり、東洋医学での「氣」(紛らわしいので以下「氣」と書きわけますね)はそもそもが「気持ち」も「自律神経・免疫」もパッケージングされての概念なんですね。
ざっくりと「生命エネルギー」と書きましたが、さらにざっくりいうと「(心身どちらの意味においてもの)元気さ」のことと言えます。
そもそもが心身一元論であって、わざわざ心と体を別物として考えていません。
ゆえに、「気持ちの持ちようで(=心)病気(=体)は良くも悪くもなるよ」と二元論的に考えること自体に「違和感があります。
(「病」という概念自体も、おそらく東洋医学では心身一元的にとらえているのに対し西洋医学では心身二元論で考えていますね。)
「病」は、「気」の乱れから!
上記の通り、東洋医学では病気になるのは「氣」が乱れることによって起こると考えられています。
つまりは「自律神経や免疫、生命エネルギーの低下によって病気になる」ということですね。
そして、そこにはもちろん「気分」も少なからず作用したり関係があったりしますので、「気持ちの持ちようで病気になったり治ったりする」ということ自体が間違いという訳ではありません。
しかし、「それがすべて」という訳では決してないのですね。
少なくとも「病は氣から」=「前向きなら身体も元気になるし、悲観的なら病気も治らないよ?」というような意味ではないということがわかります。
「気の持ちよう」はそもそも「氣」の中に包括されるものなのです。
「気分」はすでに「氣」の一部なのです。
更により詳細に言うと、病気への抵抗力を含め人間の生命を正常に保つ氣を「正氣」、病原菌など病気を引き起こす力を邪氣と言いますが、この「正氣と邪氣」のバランスが乱れることが病気の原因なのです。
「病気になるときは、気から先に病む」
もうずいぶん昔の話ではありますが、たぬこはあるときたまたま一般人向けの東洋医学の講座を受けたことがあります。
その時に講師の先生が表現していたのは「病は氣の乱れから起こる」とはまたちょっと違い、
「病気になるときはまず気が先に病む」
という言い方をされていました。
ここにおいての「気」はどちらかというと「気持ち・気分」の意味で言われていたように思いますが、
「病は気から」=気分の持ちようで病状は良くも悪くもなる、ではなくて
「病気になるときは身体症状よりも先に気持ちのエネルギーが低下するという症状が表れる」ということでした。
「くよくよするから病気になる」のではなく、「くよくよしてきたら病気の初期症状のサインだ」ということですね。
ナルホドなーー、と思ったことを覚えています。
その時の感銘が強かったからなのか、たぬこは今でもこの考え方(定義?)がなんだか一番しっくりとくる感じがします。
だから風邪の引き始めなんかでシュンとしているときに、「元気出して!「病は気から」だよ!元気出さないとホントに病気になっちゃうよ!」なんて励まされようものなら「……バーロー!病気だから元気ないんだよ͡コノヤロウ!」なんて反発してしまうのですね。(もちろん心の中で)
身体のエネルギーを消耗させないように、病気の時は静かに寝て治しますよね。
それと同じで心も無理やりテンションを上げたり無理やり前向きになったりしようとせずに静かにお休みさせてあげればいいと思うのですが……。
ひねくれ者ですかね?(^^;)
あ、励まそうとしてくれているその厚意自体はもちろんありがたく感謝はしておりますよ!
(誤解のないように言っておかないとね。)